だれかに

久しぶりに進撃の巨人のシーズン2EDを見たら目が冴えてしまって眠れない…

追い詰められた人々が、鉄格子の隙間から子供だけでも抱えて外に出そうとするカットが当時からトラウマだったけど本当に心臓にきてしまってつらい(映像自体は素晴らしい)

 

子供が生まれてから、子供が犠牲になる系の話を摂取すると刺激が強すぎて拒否反応が出るようになってしまった。

子供の頃は映像(ドラマや映画)を見るのが本当につらくて、登場人物に感情移入しすぎて楽しくても辛い目にあっても見ててものすごく疲れてしまったのだった。ある程度大人になってからは、カメラや脚本や演者の事を頭において、これは作り物だからっていう距離がとれていたんだけど。今はもろもろの疲労が積み重なっていてこころの防御力が低くなっていて、また客観と主観の距離をうまくとれないのもあると思うんだけど。

 

子供、めちゃくちゃに可愛いしはちゃめちゃに手間がかかるので、こんなにエネルギーを費やして生み出して、こんなに全ての世話を手間暇かけて与えて、ものすごいコストを何十年単位で費やした存在が、例えばただの弾除け要因でふっとばされたりしたらなんて非効率!なんて無駄!なんてナンセンス!って思うようになってしまった。

 

なのでフィクションの中で「腕の一本も惜しくない!」とか言われると「指の一本もなくならないかはちゃめちゃに心配してた身になれ!」と思ってしまうし

「この命惜しくない!」とか言われると「惜しい!何もかもが惜しい!惜しがれ!」と思ってしまうし

子供を身を挺して守る描写(冒頭の進撃のEDみたいな)を見てしまうと、守った後もちゃんと無事に生き延びれたのかわからなくて絶対親はちゃめちゃ不安になりながら死んだよね~~全然安らかに死ねないよね!?地縛霊になってしまうよね!?って思うし

紛争地帯でどんどん兵力が尽きて行って、少年兵が動員されるまできた段階のニュースを見てしまって、理不尽非効率非生産的っていうやりきれない思いが…

 

そういう物語を摂取して大丈夫な時とダメな時と大丈夫な物とダメな物が今ははっきりしてなくて、不意打ちをくらってしまうとノーガードで大ダメージ。

負ってしまった傷に深夜ラジオが染み入る午前2時半