視界の半分が雪で半分が晴れ

気を遣われるのって難しい。

産前産後のために実家に長期滞在している。

 

①外部の人は「お客様でいなさい」とか「上げ膳据え膳してもらいなさい」と言うけれど、

それを実行した時に膳をこしらえるのは、介護と加齢で疲れている母か、新生児と体力テンション280%(コロナ休校のせいで)の小学生の相手をし、さらに私の足になってくれている妹しかおらんのだ。言ってくる人が膳を据えてくれるわけではない。

もし本当にお客様でいるつもりだったら、私は長期滞在せずにとっとと戻ると思う。自分の精神安定のためにも。

家事なんていくらでもやる事あるし、久しぶりに帰ると暮らしてる人の目につかない家の痛みやら汚れやらが自分には目についてしまうので、それを放っておいたほうがストレスになる。

 

②名字を変えたけど、元の名字を捨てたつもりはなく、名乗りを変えた位に思っているので、もう○○(旧姓)じゃないんだから気にしなくていいんだよ、とか△△(新姓)なんだからいいんだよ、とか言われてもいやそんなことねーし、って感じ。もちろん、上げ膳据え膳的な話と同じで、気を遣ってもらって言われてるのはわかるけど。名字が変わったくらいで宇宙の法則が変わって目の前の状況が変わるわけでもなし。

目の前で皿が割れたら誰かが片付けなきゃいけないし、姓が変わったから自分は片付ける必要ないなんて、んなーワケがない。し、名字を変えた事のない人が言っても説得力無いわな〜と

 

③心情を慮って回りくどいやりとりをするのが苦手だったはずなのに、自分不在で話が決められるのにすごく反発を覚えるようになってしまって自分にびっくりしてる。

話の結末はどう話してもAになるだろう事はわかってる場合、「Aにしましょう」「はい・いいえ」で済むのが一番早いってわかってるのに、提案されたらいいえと言えない、思うところが無いわけではないけどまぁAが一番良いのはわかるし…とのんでしまう、実質選択肢が無い事がすごく腑に落ちない。

だからこれは効率的とか合理的とかではまったくなく、単に筋を通せやゴルァとか、面子ってもんがあるんじゃいネゴれやゴルァって言ってるだけの、とても感情的な反応なんだけど。という事まで自覚してるんだけど。

 

これがホルモンバランスってやつなのか?家族が思ったより疲弊してる事へのショックでこうなってるのか?自分が疲れてるせいなのか?何が原因かわからないけど、この先いつか、こんなこと思ってたっけ〜メンタル落ち込んでるわ〜と思えた時のために残しておく。

ヒメオドリコソウの蜜は一度に大量に飲むと青臭くてちょっと気持ち悪い


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今年は雪が無いのでもうツクシがワッサワサ生えてる

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里帰り出産のために実家に帰ってきました。

姪っ子甥っ子たちが居るので、朝から夜まで不条理な遊びに付き合ってると一日が終わる。

小学生の姪っ子は一日中不条理劇みたいなことしてる。今日はタピオカを売らないタピオカ屋という、概念を売るお店屋さんごっこ

赤ちゃんの甥っ子はひたすらハイハイで玩具を追いかけ続けるから、30秒に1回玩具を反対に置いて方向を変えてあげる。まるでライン作業のようだ。

 

長期で帰ってくるのがほとんどなかったから、久しぶりに長く家に居ると実家の「家として老いた感」が増しててそうか〜という気持ちになる。具体的に言うと物が溢れ出してる。昔は各々の部屋に荷物が仕舞われてたはずだけど、今は廊下や使ってない部屋に荷物がうず高く積まれていて、田舎の整理不可能な家って感じになってきていてちょっと気持ち的につらいところ。家外の物置には物が少ないのが尚更。なんかこう、把握するために手の届くところにすべてを積み始めると結局把握できなくなって地層化の際限がなくなると思うんだけど、その一歩を踏み出してしまったのではと危惧してる。とはいえ自分は数カ月借り暮らしの身なので何にも言えないけど…

 

あと高いところやちょっとした隙間や角にホコリや蜘蛛の巣(しかも古くてホコリ化してる)がちょいちょいあるのも、メンテナンスの手がまわってない感あって気になる。建物としての家自体はまだ綺麗だから尚更。目線が外れる場所って、長く住んでると意識の外になるから汚れに気が付かなくなっていくんだな…

 

なので運動がてらちょいちょい掃除してる。他所の田舎のお家に行くと、わ〜なんでこんなに物が雑然と積まれてるんや〜と思うんだけど、実家でその感覚を味わう日が来るとは思わなかった。

それだけ主として住んでる人の(特に親の)思い出と記憶が積まれてるって事で、生きてきた年月の重さって事なんだろうけど。自分の使ってた小学校のリコーダーや、工作で作った物々までとってある。さすがに…もうリコーダーは捨ててよいと思う…

都内賃貸だと引っ越しが必須だから何年かに一度断捨離タイミングがあるけど、いつか定住した時には物に執着しないようにしよう、と思った。

代わりにデジタルに執着できたらいいんだけど。老後にリブログを見返して楽しもうと思ってたTumblrがずっとサービス継続の危機に晒されててハラハラしてるよ…執着先としてはだいぶ儚くてツラい。過疎も進んでるけど私は最後の一人になってもリブログし続けるぞ…

冬の気合が足りない

明日雪で交通機関が乱れるので出かける人は早めの行動を〜っていう注意ニュース

会社の社食では7時半から朝ごはん営業してるんだけど、その時間にオープンさせようとしたら何時から出かけなきゃなんだろう…とか、チェーンのお店もスタッフの人が来れなかったら普通に閉まったままにして、客側もそれで理解ってならないかな、とか考えてた。

 

いわゆる個人商店あるいは商店街的な商売の範囲って、店主が徒歩圏内に住んでて、お客さんも徒歩の生活範囲にいる人で成り立つ規模だったと思うんだけど、交通網の発達で電車で1時間・車で1時間の通いも当たり前になった結果、生活範囲も商売の対象範囲も広がって、利益は見込めるけどこういう時のリスクも増えたんだなと。足が絶たれたら成り立たなくなる危機。人を広範囲からたくさん集められるようになって増えたメリットと増えたリスク。

 

客商売じゃない職種も職場に全員が集約される事で通勤のリスクは高まるわけで。人が対面で集まることの組織的なメリットはよく語られるけど、電車1本止まったら数%の人間はその日仕事ができないリスクはあんまり語られないなって。働き手にとってのリモートのメリットは言われてるけど、会社にとっても利があるのでは、もっとさっさとリモート広まっていいんじゃない。

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とまぁこんな天気だから突然担当が来られなくなることもあるから、自分の持ってる作業は整理して共有しときましょう、みたいな話を、会議の終わりの雑談で自虐ネタ混じりで話してたら、そうだね突然子供の学校から呼び出しがあったりするしね、と一人がポツリとこぼしてて。その人がかなりの暴れん坊のおじさんで、まじで突然不機嫌になってそれを隠さないし、誰とも会話しないし、毎日何で不機嫌なのかもわからなくて、この人の人生に一体何が…どうしたらこんな毎日不機嫌になれるんだ…謎…って諦めて対応してたのに、珍しく、というか初めて会社で自分の事について口に出したからあまりにもびっくりしてしまってそれ以上突っ込んで聞けなかった。本当はもっとちゃんと聞いて、聞いたからって何もできないけど、僅かでも思ってることとか状況を共有することができたら何かお互いに楽になる事もあったのかな。この人も人間だったんだなって事があまりにも突然感じられて、本当に本当にびっくりした。急に人間になった。いろいろあるよね、人間だもの。とはいえ突然机殴るのはやめてほしいまじで。

夜中の交番にはいつも誰もいない

交番に駆け込む時は夜中の方が緊急度高い気がするけど、そこには電話機しかないっていう

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久しぶりに展覧会に行ってきた。

 

永遠のソールライター

前回のソールライター展を見てないので、実は初ライター。構図の鬼。粗密。渾身の1枚というより、バシバシ撮って一番良いのを選んでる感じが親しみを感じて良かった。

1枚あたりの情報量を増やす方法がうまい。反射、水の屈折、ガラス映り込み、多重露光的な見た目、金属…CGで情報量増やしたい時と同じ事してる。

現像されていなかった写真をフィルムスキャンしてスライド上映してるのやコンタクトシートの拡大展示があって、現像も作品作成の一部だから、未公開未着手のものを展示する方法として良いなと思った。本人が焼いてないから彼の作品としては完成してないけど、撮って出しである以上何も損なってない感じ。

「当時はカラーの現像が高かったから撮りっぱなしのフィルムがまだまだ眠っている。ソールライター財団のたたかいはこれからだ」みたいな解説がぐっと来た。

自分もFlickrに突っ込んである写真が1万枚を超えてて、かなり雑多な、それこそ当時の携帯で撮ったようなものまで全部入ってて、整理しなきゃかな〜とかある程度消さなきゃな〜とか奮闘してたんだけど、ソールライターでそれなら自分もこれでいっか〜って割り切れた。

 

そしてアップリンクのカフェは落ち着いてて良い

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ハマスホイとデンマーク絵画

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ハンマースホイハマスホイは絶対に行かねばという使命感からさっと行ってきた。

デンマーク絵画が半分、ハマスホイが半分の構成。

デンマーク絵画部分が非常に良かった。当時の美術界隈の流行、なぜ風景画や室内画が流行っていたのか、各作家の風景画の見比べ…こういうのこそ展覧会で見れる面白さというか、作家単体の画集だと見れない事だよな〜って久々に感じた。並べ方も良くて、森林モチーフ同士の並び、曇天モチーフだけの壁、似た室内モチーフ同士の並び…意識しなくても自然と見比べられるようになってて、壁一枚に対する枚数と配置の関係が考えられてて良かった。

 

Julius PaulsenのSunsetっていう絵が非常に良かった。すべての輪郭が溶けてて、焦点が合いそうで合わない感じ。どこか非現実的。

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www.akg-images.com

 

改めて今回の展示で、彼らの作品は親しみとか明るい意味を持った作品です、って解説を見て、今まで自分はなんとなくうっすらとした気味悪さみたいのを感じてたんだなって改めて意識したのでした。顔が見えない事に対する匿名性と覗き見感。

彼らが「見つけた」懐かしい地方としてのスケーインって、こっち側で当てはまるとしたら「地方のロードサイド」なんだろな。懐かしい景色、失われつつある景色。多分あと10年くらいしたらロードサイドすら衰退して「ショッピングモール」がそれに当てはまるんだと思う。その次はなんだろ。

上野駅が工事してて、なんか謎の肋骨みたいな構造がついた駅舎が増えてた。なんだろ。

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こうやってサクッと展示に行けるのもあと1ヶ月。Bunkamuraの次の展示、ホキ美術館は会期の関係で見に行けないし、一人で思い立ったから行く、なんてできるのかな。したかったらできるようにしていくしかないんだろな。できるかな〜じゃなくて、したいからできるようにしましょう、だな。

お年玉搾り取られるの嬉しい

意味のある事だけしてると意味のない事がしたくなる

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なんかこういう何でもない町とかに行きたい

 

会社で8時間うんうん唸って、行き帰りで為になりそうなもの読んで、栄養と在庫を考えながらご飯食べて、攻略を見ながら最短ルートでゲームこなして、美容によいとされる(最低限の)ルーチンをこなして、明日の天気を考えて洗濯をして、ゴミ出しの日程とゴミ捨て場の様子を見てゴミを出すタイミングをはかって(治安の悪い立地なのでタイミング悪いとゴミ捨て場がめためたに汚い)、最短ルートの帰り道を選んで

 

全部自分で選択できてるけど、全部決め続けてると何にも選びたくなくなってくるなー

 

静かな部屋でぼーっとするとか、

よくわかんない裏道に行ってみるとか、

栄養まったく関係ないご飯を食べるとか、

よく知らない場所に行くとか、

なんかそういう事したい。

 

今いろいろ忙しくなくて飽きてるんだろうなって思ってる。

近所のフリマで500円で占いの人が出てて、最近こんななんすけどーってやってみたらやっぱりそんなような答えが返ってきた。(突発的なイベントでざっくり占われるの割と好き)

 

情熱をかける先を失っている、自分が何がしたいのか考えましょう的な話をされて、今のこのなにもかもきっちりルーティンで埋めてる生活は、いろいろな事を考られるタイミングが無いなと。そんで多分、部屋に誰かが居る状態なのも考えるには向かないんだろうなと(今は夫とワンルーム暮らし)

 

とっとと引っ越して自分だけの静かな部屋が欲しいなー

 

 

そして甥っ子が増えました。

今まで全然あげられなかったお祝いをちゃんと渡してあげたい。

自分に高いものはなんかしっくりこないけど、姪っ子甥っ子たちになら幾らでもあげていいやって気分

早くお年玉あげたい

とりあえず甥っ子の誕生祝、姪っ子たちの進学祝い、別の甥っ子の進学祝い、お年玉…

お金、どうやって計画したら貯められるかな。

雑誌の貯まる!特集とか読み漁ってるけどイマイチ参考にならないし

知らん事は勉強するしかないし、フィナンシャルプランナーへそろそろ駆け込まないとなって思ってる。

プリクラのスタンプ選んでるだけで制限時間終了

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この前実家に帰った時、姪っ子(小学生)にプリクラ撮りたい!って言われて、プリクラって響きにクラクラしてしまった。

 

一番近いイオンに行かなきゃね〜なんて言ってたら新幹線の時間が来てしまったので撮れなかったけど、撮りたかったなぁ。人生で多分10回も撮ってないから、ほぼ初心者の気持ちで楽しめただろうなぁ。足長機能を逆手にとってクリーチャーになったり、謎のスタンプ押しまくってお洒落の対極みたいな1枚を精製したりしたかったなぁ…

 

姪っ子、どんどん社会性を身につけててすごいなぁと思うんだけど、反面女の子は色が白くなきゃダメだから日焼けはダメなんでしょとか、そういう"女の子"をどんどんインストールしてて、どうかなるべく傷つかず生きていってほしいなと思うけどそんなの私が思っても何の役にも立たないんだよな。

 

姪っ子と夫と3人で散歩してた時に、集団下校中に変な人に追いかけられたってこぼされた。いつかこんな時が来るなと考えてた。

自分の子供の時に遭った変質者の話をして、それがちょうど散歩してた道だったから、私はここで声かけられたんだよ。わたしはついて行っちゃったけど。地域の人には挨拶しなさいってみんな言うけど、日が暮れて自分一人の時に声かけてくる人間は無視して逃げなさいって言ったけど、なんかもっと良い伝え方があった気がする。

 

今では物理的社会的にやりかえすだけの身長も力も手段もあるけど、相手が圧倒的に大きい大人に子供がどう対応すればいいかなんて、未だによくわからないな。人家はあっても人気はなく、地域は繋がってるけど仲良くない環境で、いざという時に誰を頼ればいいんだろう。

基本他人に興味がなくて、かけこめるお店やコンビ二が多い都会の方がまだ逃げやすいとさえ思う。

 

あんな、家に鍵をかけないような狭い地域でだって、通学路で待ち伏せて露出する奴も出たし、バス停からつけてくる奴も出たし、家の庭から下着は盗まれるし、

都会に出たって、何歳になったって、全然違う地域や環境で育った子と話しても、似たような事は起きてるし

あんまりにも理不尽で、けど運が悪かったねで終わらせたくないな。悪いのはわたしの運じゃなくてやる奴らの方だ。

 

もうちょっと考えがまとまったら今度会った時に話してみるかな。それと、みんなが言う"女の子らしく"とか"良い子"でなくてもやってけるって、あの叔母さん好き勝手に生きててやってけてるじゃんって思ってもらえるように生きてかないとなって思った。

 

まだ17歳、今も17歳、あなたもわたしもかつて17歳

先日渋谷のレンタルスペースを借りて酒盛りざんまい☆という楽しいの極みを行ってきた。大人数なので安く、外の目も次の時間も気にしなくていい、ただただ楽しくお酒とお肉を食べれるステキな会だった。

大人になってからも楽しいことっていくらでもやれる。すごいなぁ。東京楽しいなぁ。

 

今回の宴では、何年か前のフィギュアのDVDを見ながらお酒を飲んでました。フィギュアガチ勢の解説を聞きながらの鑑賞、大変楽しいながら、見ててめっちゃ泣いてたのが私です。

なんでだろう、世界大会に出るような選手って、間違いなくその人の住んでる世界では完全にトップかつ勝者なのに、なまじ"芸術点"なんてものがあるせいでそこに優劣が生まれ、何もできない外野があーだこーだと騒ぐ。なんでだろう、こんなにも個々人は完璧で、勤勉で、努力家で、超人なのに、何もできない外野の評価のためにギリギリまで自分を追い込んで、とんでもない緊張の中、勝つためのムーブをとらざるを得ない。

映像を見てる間ずっと、たたずっと、私はあなたが、ただただ楽しんで笑顔でその能力を発揮するところが見たいなってずっと考えてた。

なんでそんな簡単な事が叶わないんだろ?って。

順位と基準というものがある以上仕方がないんだけど、私は見にいくなら絶対アイスショーだな。

なんだろう、見ててすごく孤独を感じてしまって涙が止まらなかったんだ。圧倒的であればあるほど、つきぬけるほど、その人は孤独になってしまう。がんばればがんばるほど孤独になるなんて、この世界はバグってるよね。

 

ところでマンマミーア!をやっと見たんですよ。

Mamma Mia! (2008) - Dancing Queen Scene (3/10) | Movieclips - YouTube

内容のハッピーエンドさもさる事ながら、あちこちで聞いてた音楽ってここが出展だったのか!ってなることが多くて。

このDancing Qeen がめっちゃくちゃ好きだって気付きまして。

 

You can dance!

 

私たちは踊れればクイーンなんですよ!

なんて幸せな歌詞なんだろう。それを子供が結婚するような親世代が歌うって設定、まじでサイコー。

 

最近レディーガガとか林檎さんとかビヨンセとか(ネトフリのホームカミングまじで最高!)を見まくってて、肉体的にも精神的にもめっちゃタフ!サイコー!ってなってたんだけど、マンマミーア!のゆるーーいダンスで老若男女がダンスするのサイコー!ってなりました。

 

私たちは、ダンスが踊れれば、それだけでサイコーなのです。

踊りましょう、一生、死ぬまで、みんなで一緒に