ヒメオドリコソウの蜜は一度に大量に飲むと青臭くてちょっと気持ち悪い


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今年は雪が無いのでもうツクシがワッサワサ生えてる

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里帰り出産のために実家に帰ってきました。

姪っ子甥っ子たちが居るので、朝から夜まで不条理な遊びに付き合ってると一日が終わる。

小学生の姪っ子は一日中不条理劇みたいなことしてる。今日はタピオカを売らないタピオカ屋という、概念を売るお店屋さんごっこ

赤ちゃんの甥っ子はひたすらハイハイで玩具を追いかけ続けるから、30秒に1回玩具を反対に置いて方向を変えてあげる。まるでライン作業のようだ。

 

長期で帰ってくるのがほとんどなかったから、久しぶりに長く家に居ると実家の「家として老いた感」が増しててそうか〜という気持ちになる。具体的に言うと物が溢れ出してる。昔は各々の部屋に荷物が仕舞われてたはずだけど、今は廊下や使ってない部屋に荷物がうず高く積まれていて、田舎の整理不可能な家って感じになってきていてちょっと気持ち的につらいところ。家外の物置には物が少ないのが尚更。なんかこう、把握するために手の届くところにすべてを積み始めると結局把握できなくなって地層化の際限がなくなると思うんだけど、その一歩を踏み出してしまったのではと危惧してる。とはいえ自分は数カ月借り暮らしの身なので何にも言えないけど…

 

あと高いところやちょっとした隙間や角にホコリや蜘蛛の巣(しかも古くてホコリ化してる)がちょいちょいあるのも、メンテナンスの手がまわってない感あって気になる。建物としての家自体はまだ綺麗だから尚更。目線が外れる場所って、長く住んでると意識の外になるから汚れに気が付かなくなっていくんだな…

 

なので運動がてらちょいちょい掃除してる。他所の田舎のお家に行くと、わ〜なんでこんなに物が雑然と積まれてるんや〜と思うんだけど、実家でその感覚を味わう日が来るとは思わなかった。

それだけ主として住んでる人の(特に親の)思い出と記憶が積まれてるって事で、生きてきた年月の重さって事なんだろうけど。自分の使ってた小学校のリコーダーや、工作で作った物々までとってある。さすがに…もうリコーダーは捨ててよいと思う…

都内賃貸だと引っ越しが必須だから何年かに一度断捨離タイミングがあるけど、いつか定住した時には物に執着しないようにしよう、と思った。

代わりにデジタルに執着できたらいいんだけど。老後にリブログを見返して楽しもうと思ってたTumblrがずっとサービス継続の危機に晒されててハラハラしてるよ…執着先としてはだいぶ儚くてツラい。過疎も進んでるけど私は最後の一人になってもリブログし続けるぞ…